スポーツマーケティングの歴史と発祥

スポーツマーケティングの歴史

スポーツマーケティングの歴史と発祥

スポーツマーケティングという言葉は、1979年に発行された“Advertising Age”という米国の雑誌で初めて使われました*。

その後、マーケティングの理論や考え方をベースに、進化を続けています。

いち早くスポーツマーケティングが発展したのは、米国です。

かつて、「小さな政府」を提唱した小泉政権が採った公共サービスの民間開放と同じようなことが、それより20年以上も前に、同じく「小さな政府」を掲げた米国のロナルド・レーガン政権下で推進されました。

この方針により、スポーツ関連の公共ビジネス予算が大きく削減され、公共セクターは生き残りをかけて外部資金導入のために奔走することになります。

そのことが結果として、偶発的にもスポーツマーケティングの歩みを大きく進めることとなるのです。

それが実を結んだのが、1984年のロサンジェルス・オリンピックです。

レーガン政権は、当時オリンピックに国の財源を入れませんでしたが、無事開催にこぎつけ、実に2億ドル以上の黒字という結果を納めることができました。

それまでオリンピックといえば赤字続きで、ある意味、国に大きな財政負担を強いるイベントと見なされていました。

しかし、ロサンジェルス・オリンピックを機にマネジメント手法やマーケティング戦略が発展し、大きな利益を生み出すスポーツビジネスへと転換を遂げたのです。

スポーツマーケティングの発展と取り組み

ロサンジェルス・オリンピックで作り出されたマーケティング戦略の主なものの一つに、独占放送権やオリンピックグッズの販売許可といったいわゆる権利の販売があります。

これは、重要なマーケティング手法として現代に引き継がれ、日本でも試合等の放映権やスポーツ施設のネーミングライツ(命名権)、関連グッズなどの販売を重視した戦略がとられています。

スポーツマーケティング戦略の手法と事例

ネーミングライツとは、スポーツ施設に一定期間、名前を付ける権利です。

例えば、東京スタジアムは、2003年から「味の素スタジアム」と命名されています。

最初の5年間の命名権の価格は12億円で、2008年に6年間で14億円という条件で更新されました。

1年間の命名料に換算すると2億円強ですから、大きな収入源となるわけです。

それ以外にも、スポーツマーケティングは広がりを見せています。

夏季・冬季オリンピック、FIFAワールドカップといった大きなイベントから、アジア大会や、ユニバーシアードなどの国際大会、その他プロスポーツリーグ、さらには各地域のスポーツ施設の運営など、現代では、実に広い範囲でマーケティングへの取り組みが行われています。

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